【歌日記】織本順吉さん チリー・ゴンザレス

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俳優の織本順吉さんが亡くなられなられました。
 

 

恥ずかしながら、織本さんを知ったのは本当に最近のことです。

3月3日に偶然テレビ放送で
「老いてなお 花となる〜第二章 俳優・織本順吉92歳」
を観ることができました。

 


 

織本さんの俳優としてのプライド、生き様、戦争の傷、奥様の支え。
全てを包み隠さず、ドキュメンタリーとして構成されたこの番組を見ながら、
最後には何と表現をしたらいいのかわからなくなり、息が漏れました。

 


僕は、不器用に真っ直ぐに役と向き合う役者さんが好きです。
好き、というか、自分と重ね合わせてしまうから
吸い寄せられてしまうんだと思います。



「不器用」というのは決して悪口ではなく、
その役の事しか考えられなくなる時間ができるくらい、
その仕事に向かって一直線に歩いている。
他の物が何も見えなくなるくらい、一直線に。



この番組の中で織本さんが嘆く
「役が体にまとわりついて離れないんだ。いくら手で払っても、ここにいるんだよ」
というシーンを見たときに、僕は、悲しみに襲われました。


そんなにも、苦しいのかと。

「役者」を追い続けた織本さんは、
「自分」という存在をみつける事ができなくなるほど、
「役者」になってしまった人。


僕も、演技をする中で、
「自分」ではななく「コンブフェール」として、どれだけ「レ・ミゼラブル」の世界に生きることが出来るか。
「野獣」として、醜くなってしまった自分の姿への劣等感と孤独を感じ取れるか。
役として、そこにいない事に対して、罪の意識を感じる。



「演じる」という事を番組を観ながら考えていた時、番組の中で流れていた音楽が、
チリー・ゴンザレスの「Solo Piano」というピアノアルバム。
その中の一曲でした。

 

チリー・ゴンザレスの「黙ってピアノを弾いてくれ」という映画作品の中で、
彼自身「チリー・ゴンザレス」を奇抜に作り上げ、注目を浴び、
一番自分の中で表現したかった音楽を形にすることができた喜びを
「Solo Piano」の中で語っていました。


 

チリー・ゴンザレスを演じたチリー・ゴンザレス。
自分の本当に表現したい音楽のために。


 

演じることに全てを捧げた織本順吉さん。
自分の事など、何も考えずに。

 

織本さんの作品、これから少しづつ、観させていただこうと思います。

 

歌日記でした。

 

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